年齢を重ねるごとに、自分本位になっていくのを感じることがあります。
昔は、真剣に悩みくよくよ悩んでいたことも、年齢とともに考えるのが面倒になり、「ええ~い、どうでもええわ、なるようになるやろ」「時間が解決してくれるやろ」などと、考えるのをやめてしまっています。
こうしてだんだん、おばさん(オバハン)化していくのでしょうか?
自分を正当化し、深く反省することを省きながら生きていく。
イケイケドンドンで年齢を重ねていく。
鉄面皮のおばさんを見ては、わたしはあんなふうにずうずうしくはなっていない、はず・・・。そんなふうに年齢を重ねているはずない。
保育士をしていたとき、出産後子育てしているとき、いろんな保護者を見ました。
鉄面皮女の子どもがケンカして、相手の子が怪我をしているのに、謝ることもせず、我が子をしかることもせず、「お互いさまですから」と声を大にして言っているのを聞いたとき、それはあなたが言う言葉ではない、と言いたい衝動にかられました。
おそらく、他の方もそうだったと思います。でも、誰もその人に何も言いませんでした。
皆さん大人対応しているのです。自分の子どもを守るために。
「お互いさまですから」という言葉は、ケガをさせられた方の保護者が言うならまだしも・・・なんだか気持ち的にやりきれない気持ちになりました。
こういう大人にはなりたくない。自分の非を認めず、他人のせいにして、我が物顔で生きていく、という生き方はしたくない、と。
自分を見つめるってどういうこと?
自分を客観的に見て感じて恥じらいを知る、そんな大人になりたい。
若者を温かい目で見て応援できるような大人になりたい、な、とも思っています。
年齢を重ねるに連れ、だんだん自己中心的になりがちなことは、私自身、自戒すること多しです。
自分を見つめるということはどういうことなのか?
鉄面皮になりそうになる心を矯正するにはどうすればいいのか?
そんなときに、この本を読んでみては?
2冊の小説を小説をご紹介します。
自分を離れて遠くから見よってこと? アガサ・クリスティー春にして君を離れ
春にして君を離れ アガサ・クリスティー著
この小説は、アガサ・クリスティーが別名で発表したものです。響きがよく美しいタイトルに惹かれるものを感じました。
良き妻であり、良き母である自分に酔いしれている主人公ジョーン・スカだモアは、次女を見舞った帰り道、悪天候で辺境の駅で足止めにあってしまいます。
その待ち時間は、思わぬ思索の時間となってしまいました。
ちゃんとしっかりしている「私」が、築き上げてきた理想の家庭。
夫にも愛されている、はず。子育てもうまくいっている、はず。と確信していた、はずなのに・・・。
諸々の確信が、思いがけない旧友との再開から、記憶の連鎖が始まってしまう。
15年以上近くも会っていなかった学友と出会い、最初は単純に喜んでいたところから、事態(心の雲行き)は徐々に崩れていきます。
今までの信じて疑わなかった自信が、崩れていくなんて。意に反して、自らを省みることになってしまう。なぜ? 砂山崩しで砂が少しずつ削られていくように崩れていく。
自分は幸せだと確信していたのに。
なんの事件も起こらないけれど、心の中に起こる自責の念に読者もとまどいます。
ふかんの眼で自分を見つめていく主人公、スカダモア。
読み進むうちに、心を見つめるサスペンスと化していくのは圧巻です。
自分自身を見つめるというのは、こういうことなのかもしれない。
辛い作業だ。年齢とともに、図太くなっていく根性をこういう小説を読み、矯正するのもいいかもしれない。
年々、矯正しづらくなっている自分をも感じつつ、
2年に一度はこの小説を読むことを課題としていきたい、と思っています。まだどちらも3回しか読み返していませんが
どないしようもないオバハンになる前に、この本を一冊、
お手本にしていきたいものだ、と思っています。
手紙を書くことで気持ちが整理されていくの? 宮本輝著 錦繍
錦繍 宮本輝 著
時々読み返したい小説のひとつです。
心の中で感じたこと、考えたことを ここまで掘り下げることができたら・・・内観するというのはこういう事をいうのかもれしれない、とこの小説を読んで思います。
手紙形式で、ストーリーがきちんと描かれています。
ラインやメールで育った世代の方には、ちょっとなじめないかも。手紙のやり取りを新鮮、と受け止めてもらえるかな?
自分を見つめることにより、相手を許していく。
そして自分の人生すべてを受け入れていく。
何度かこの小説を読むと、作者から読者への応援歌でもあるのではないか、という気がしてくるのです。
生きていることと死んでいることは同じかもしれない。
同じなのになぜ生きるのか?
生きることはしんどいことである。思い通りいかないことのほうが多い。人はいろんな業を背負ってうまれてくる。
それが、因縁という一言で片付けられるのは、あまりに切ない。
それでも人々は生きていく。生きていかなければならない。
この小説は、生きる人々への応援歌であるように思えてくるのです。
読んでいると、「言い訳がましいなぁ」と感じることが多々あるけれど、ラストに近づくに頃になると、もう終わってしまうの? と、名残惜しくもなってきたりもします。
この作品には「パワー」がある、と感じました。
なにかの著書で(あとがきだったか・・・)、この作品を書いたときの、宮本輝さん自身の心境を読んだことがあります。
血を吐くほどの体調(苦しみ)だったとか。
自暴自棄になり、モノにもあたったりしていたというようなことが書いてありました。
この作為品は”書かなければ”という必然の中で生まれた作品なのだろう、と強く思います。
作品の中にやたら、宇宙のからくり、宇宙の法則という言葉がでてくることも気になりました。
自分を見つめることと、人を応援する気持ちのコラボが根底に流れているようなこの作品。生きることへの応援歌?
懸命に生きようとする人を応援してくれているようなこの作品。何度か読み返したくなります。
まとめ
宮本輝著の「錦繍」、アガサ・クリスティー著の「春にして君を離れ」、には共通点があります。
自分を見つめなおしていくということがどういうことかが物語を通して伝わってくること。
人のふり見て我がふり直せ、という言葉がありますが、自分のことを冷静になって少し見つめてみたいときに、この本は参考になるかもしれません。
この2冊。今後の人生おりおりの中で読み返したい小説です。
以上、私が読んでみての感想です。
なにかピンとくるもの感じたら、読んでみてください。
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